01
生誕と命名
出産予定日より約1か月早く生まれ,半日ほど保育器に入ったものの,体重は約2,900g.予定より早く生まれたわりには,体重は十分あったようです.
「雲平」という名は,麻酔薬で知られる華岡青洲の幼名に由来します.偉人の名を借りた結果,麻酔の発明ではなく,会議で自分が眠くなる能力だけが受け継がれました.
非公式プロフィール
千葉で過ごした幼少期から,二度の浪人,大学院,ポスドクを経て,秋田で数学と物理を教えるまでを振り返ります.
01
出産予定日より約1か月早く生まれ,半日ほど保育器に入ったものの,体重は約2,900g.予定より早く生まれたわりには,体重は十分あったようです.
「雲平」という名は,麻酔薬で知られる華岡青洲の幼名に由来します.偉人の名を借りた結果,麻酔の発明ではなく,会議で自分が眠くなる能力だけが受け継がれました.
02
体感で3日に1日ほど仮病を使い,幼稚園バスが家の前まで来てから泣いて乗車を拒否するのが定番でした.バスが来る前に言えばよかったのですが,そこまでの計画性はありませんでした.
給食のヤクルト空容器や,近所に落ちていた縄文・弥生式土器の破片を収集.後の研究者らしい標本採集にも見えますが,当時は仮説も整理番号もなく,ただ家が狭くなるだけでした.
03
スイミングに週2回通う契約でしたが,例の欠席癖によって実績はおよそ半分.月謝は毎月,きちんと週2回分支払われていました.
動物の飼育,映画鑑賞,切手収集に熱中し,犬,亀,鶏,蛇,トカゲ,蟹,ヤゴ,ザリガニなどと暮らしました.一方,算数は苦手でした.生き物との共生はできても,算数との共生は困難でした.
04
中学・高校ではバスケットボール部に入り,どちらでも部長になりました.高校では腰痛で幽霊部員化した後もなぜか部長職だけ残り,現場にいない管理職(リモート上司)という高度な組織形態を十代で先取りしました.
英語は得意でしたが,数学は一貫して苦手でした.高校3年の模試では数学の偏差値38,英語は70前後.後年この人物は数学を教え,教科書まで書きますが,この時点ではそうなる気配はまったくありませんでした.
05
予備校では数学と物理の授業だけを取り,ほとんどの時間を数学の勉強に投入.自習室が閉まると,国道沿いの空いたKFCへ移動し,閉店まで粘りました.冷暖房は自分で調整できましたが,有線放送の音量だけは攻略できませんでした.
1浪でいくつかの大学に合格したのに2浪を選び,化学を追加して「慶應ボーイ」を目指しました.結果は早稲田の繰り上げ合格.志望校には振られましたが,補欠名簿には拾われ,どうにか大学生(慶應ボーイ改め早稲田マン)になりました.
06
苦労して入った大学では,周囲の地頭の良さに早々に圧倒され,土日も勉強.卒業研究では「ホーキング輻射の流体アナロジー」に挑みましたが,研究はあまり流れに乗りませんでした.
大学院では研究テーマが定まらず悶々としていたところ,先輩たちの研究に混ぜてもらって論文デビュー.博士課程では3畳ほどの一人暮らしアパートにテレビ取材が来ましたが,本人の場面は全カット.論文デビューはできましたが,テレビデビューは編集段階で見送られました.
07
早稲田で半年,ヘブライ大学で2年,立教大学で3年半ほどポスドク生活.帰国後は流体の研究も始めました.研究計画は長期でも,雇用契約はきちんと短期でした.任期が近づくたび,研究と並行して次の職を探しました.
恩師たちのサバティカルと重なって流体力学,量子力学,相対論などの非常勤講義を大量に担当し,教育経験が爆増.計画的なキャリア形成というより,人手不足に全力で適応した結果,教員公募の面接に呼ばれるようになりました.
08
博士号取得から8年で秋田県立大学の准教授となり,物理ではなく数学を教えることになりました.偏差値38からの伏線回収としては長すぎます.教科書も書きました.高校生の頃には想像していなかった仕事です.
秋田に来て12年目で教授となり,その3年目からは部局長.書籍の執筆を複数抱え,流体研究を再開し,思い入れのある次元解析でも論文を書きました.幼稚園バスから逃げた人間が,いまは委員会から逃げています.
09
幼稚園から続いたサボり癖は,書籍の執筆を複数抱えてからも健在です.収集癖も残っており,対象はヤクルトの空容器から書籍,文献,趣味関係のしょうもないもの全般へと変わりました.物は以前より高価になりましたが,置き場所がなくなる点は同じです.
このホームページはAIエージェントに作ってもらっています.生い立ちの文章にも細かく注文を付けていますが,その間に書籍の原稿が進んだ形跡はありません.